Being Nagasaki~ 日本バプテスト連盟 長崎バプテスト教会 ~ English / Korean / Chinese
「原爆と平和」 前田 真紀子 二十七年前、同じその場所では、世にも悲惨な出来事があった所とは思えないほど、人々の喜々とした表情にはその蔭さえない。 太陽が落下でもしたのかと思ったほど強烈だった光線と熱を、当時一才にならない妹をおぶった背に感じた時のことは、忘れようにも忘れられないことである。 赤茶けた土煙と崩れゆく家なみ、幼なかった当時の私には、一瞬何事が起ったのか、考えても分かる筈がなかった。たゞ空襲警報が出たら、すぐ壕の中へ、の訓練のおかげでとっさに、一番近い所の壕の中へ飛び込んだのを憶えている。 それから三日後、私達母子三人は、爆心地を通り、長与の親類をたよって行った。 今でも何かの拍子に思い出す臭い、その日に焼け死んでいった人々のくすぶりつゞける臭いである。臭いはともかく、黒こげの死体はまだ見やすかった。火傷のため、半死半生の姿で道の上をのたうちまわる人々の姿は、二十七年過ぎた今でもはっきりと思い出すほど耐えがたいものである。 展示された写真をみて帰った夜、子供達は、昼間見たあの残酷さに小さい胸を痛めたのか夢にうなされて泣いた。あの時の私もいまの我が子の年であったのに、泣くことさえしなかったのは、戦争のきびしさとその悲惨さをあきらめにも似た気持で生活していたからかもしれない。今、あの平和公園に集っている人達から想像される平和な姿の裏に、そゞろ再軍備の復活が海外からも非難される昨今、原爆を経験した私達の平和への責務は、大きいと痛感する。 ◆次のページ「戦前・戦中・戦後と私(川上平三)」 |
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